2004年07月19日

生まれ故郷旧満州へ

まず手始めは、終戦の翌年、小学6年生で引き上げるまでかよった旧満州の新京市(現長春)の当時の白菊小学校々舎を、ちょうど50年ぶりとなる96年に訪ねた時の写真です。現在は長春第五中学校となっていました。
元白菊小学校左斜め上クリックで拡大
小さな後日譚:昨年春、中目黒の台湾海鮮料理屋での会合のときのことです。はたち前後の女子店員が半年前に長春から来たばかりだとのことなので、長春のどのあたりかを尋ねると、娘は一生懸命で地図を描き始めました。なんと驚いたことにわが家から歩いて30秒、白菊小学校からも1,2分で毎日かよっていた道すがらなのです。驚いたのは娘の方も同じで、家を離れて半年里心のつく頃だったのか、涙ぐんで握った手を離しません。それを見た仲間たちは「隠し孫ではありませんか?」と囃し立てる始末です。「その頃僕はまだ10才そこそこのはなたれ小僧だよ」と弁解して大笑いのうちに幕となりましたが、この広い世界でいろいろな出会いがあるものです。
そのいきさつを聞いた店長から紹興酒3本の差し入れがあり、大いに盛り上がりました。
posted by 無精庵 at 18:52| Comment(19) | TrackBack(0) | 旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
今日は
早速ですが私は旧安東市で生まれ終戦を旧新京で迎え翌年11月葫蘆島から引き揚げた68才の男です
懐かしく拝見しました 私は白雪小学校を知りませんが私より年輩でいらっしゃる貴方は私が通っていた西広場小学校をご存じでしょうか 姉は敷島女学校でした
もしご存じでしたら新旧の長春の様子をお知らせ下さい
長春と丹東と一緒のツアーがあったら何としても行きたいのですが見つからず年も食っているので些か焦っています
もし見つかったら関係あるニュースは何でも結構ですからご一報下さい
Posted by 池田武久 at 2004年09月10日 16:19
池田さんへ
韓国の釜山・慶州に旅をしていたりして閲覧が遅くなってしまいました。西広場小はおぼろげですが記憶があります。先年他界した私の姉も敷島でした。新京時代の記憶をまとめた小文がありますが、もしご迷惑でなければメールアドレスをお報せ戴ければお送りいたします。
Posted by 本間隆雄 at 2004年10月11日 18:45
本間さん
御返事が遅くなりました 韓国へ行ってらっしゃたのですね 私ももう10年以上前ですが一度だけソウルに行ったことがあります(ソウルは亡くなった姉の出世うちです)
その後は専ら中国で今年も2度、更に今月末黄河植林
にボランティアで行ってきます
是非その記憶の小文を読ませてください
西広場の水道タンクの写真はインターネットで見付けましたが通っていた西広場小学校の記憶は何もありません 只姉や母から聞いて居るだけです では宜しく
Posted by 池田武久 at 2004年10月13日 12:42
池田さんへ
植林の活動などご活躍のとこと素晴らしいですね。
ご約束の拙文をお送りしたいのですが、メールアドレスが不明です。コメント記入の際メールアドレス欄に記入するか、或いは私の氏名の部分をクリックしてメールを送って下さい。
本間
Posted by 本間隆雄 at 2004年10月13日 20:08
池田さんへ:両親と二人の妹は二年後、国民政府軍が敗退し台湾に撤退する際に無事帰国しました。
話は変わりますが、手元に新京市と現在の長春市とを対比した他「たうんまっぷ」があります。十年ほど前に作成されたもののようですが、中国旅行の役に立つかもしれませんので、もしご希望でしたらメールで住所をお報せ下さい。コピーをお送りします。
Posted by 本間隆雄 at 2004年10月25日 12:00
本間さん お久し振りです その節は地図を送って頂き非常感謝 
貴兄 その後如何お過ごしでしょうか
昨年2月我去我的出生地丹東、9月九寨溝、10月洛陽と3回中国へ行ってきました 
今年早くも4月洛陽、6月8月胡蘆島と長春、8月瀋陽を予定しています 加えて10月にもう1度洛陽へ植林に行けたらと考えています 最近長春縁の女性とメル友になったのですが 何と彼女と私は晩年2年間大阪の同じビルで働いていた頃が判りお互いにその奇遇に驚きました 話が前後しましたが ご存知と思いますが6月は長春会のツアーです
それでは お元気でお過ごし下さい
Posted by 好久不見了 at 2006年01月30日 09:33
済みません 先程の書き込みに 名前と挨拶を間違えました 悪しからず
Posted by 池田武久 at 2006年01月30日 09:37
白菊小学校の写真懐かしく拝見しました。敗戦後卒業、謄写版刷りの卒業証書をもらいました。
1中に入りましたが、塾のようなところでの授業が少しあったように記憶しています。新京の地図が欲しいのですが、手に入れる方法があったら教えてください。白菊の同窓会もなくなったそうで、手がかりがなくて困っておりました。
Posted by 大里 克夫 at 2006年08月19日 19:57
白菊小学校の写真懐かしく拝見しました。敗戦後卒業、謄写版刷りの卒業証書をもらいました。
1中に入りましたが、塾のようなところでの授業が少しあったように記憶しています。新京の地図が欲しいのですが、手に入れる方法があったら教えてください。白菊の同窓会もなくなったそうで、手がかりがなくて困っておりました。
Posted by 大里 克夫 at 2006年08月19日 19:58
本間様:新京の地図を送っていただきありがとうございました。拡大鏡で覗きながら、記憶の糸を手繰り寄せています。敗戦後、内乱に巻き込まれたこと、吉野町をピーナツを売って回ったこと、栄養失調で死んだ末弟の墓穴をつるはしで掘った時、大陸の土が異様に硬かったこと、ソ連の兵隊に自動小銃で乱射されて野良犬のように逃げ回ったことなど、思い出が走馬灯のように駆け巡っています。鉄嶺、郭家店、公主嶺、奉天、新京と満鉄勤務の父の転勤によって各地を転々としましたが、新京には特別な思いがあります。
Posted by 大里 克夫  at 2006年09月02日 23:03
本間さん
昨年末には、わざわざ会いに来てくださり、あなたの紹介で、白菊小学校の同期生にも会うことができました。今まで、失われていた時代が甦ったような気持ちです。外地で敗戦国民として、惨めな経験を共有した仲間との出会いは、60年余りの空白を一瞬に埋めてしまったように思います。心から感謝しています。
あなたとは、もっとゆっくりお話ししたかったと思いながら東京を後にしました。本当にありがとう!
                   byカツオ 
Posted by 大里 克夫   at 2007年01月18日 19:01
はじめまして
私は生後6ヶ月で満州に渡り 昭和20年7歳で引き揚げるまで新京市で過ごした男性です
私は桜木小学校へ第14期生として入学しましたが、その縁でいま桜木小学校同窓会HP
http://www.geocities.jp/tan_2015/
に載せる周辺地図を作っております
そこで勝手なお願いですが この地図に書き入れるため、崇智路給水塔のあった場所を知りたく投稿させていただきました。
同窓生の生存者もだんだんと少なくなり憶えている者がおらず、何枚かの写真を見比べて、それが白菊小の近くにあったのではないかと推定し、白菊小学校で検索してこのページにたどり着きました。どうぞよろしくお願いします。
Posted by 中村芳満 at 2007年01月24日 05:27
中村さん、始めまして
 ご質問の給水塔は記憶によれば、白菊小東の現在の団地に当たる「聚(集)合住宅」内の崇智路側、白菊から100Mほどのところに在ったように思います。
 なお、長春時代の想い出を小生のブログ「電脳雑記」の「満州の記録」カテゴリーに掲載しておりますので、お暇なときにでもご笑覧下さい。
Posted by 本間隆雄 at 2007年01月24日 18:35
崇智路給水塔 ありがとうございました。早速地図に記入し、公開することと致します。
http://nobo.jp/omoide3.htm

「満州の記録」少しずつ読ませていただいております。当時すでに物心付くご年齢だった皆様には感じることの多い、ご苦労をされたことと思います。
その点 終戦直前、7歳で日本へ帰ってきた私などはただ天真爛漫に満州を過ごし、楽しかった想い出だけしかありません。むろん、日本へ帰ってからの辛酸を舐める貧困生活は、他人にひけをとりませんが……
後になれば、戦争への批判や、満州国そのものに対する批判はどなたでも出来ることです。そういう歴史的な、思想的な批判は抜きにして、自分の刻んだエピソードをいくつか、私も書き始めました。もし、お時間があれば、どうぞ私の物語もご覧下さい。
http://manshusite.hp.infoseek.co.jp/index.htm


Posted by 中村芳満 at 2007年01月25日 16:25
質問ばかりで失礼します
 1年生の冬だったと思うのですが 三中井百貨店の前に、撃墜されたB29の残骸が展示され、父に連れられてそれを見に行った記憶があるのです。巨大な燃料タンクなど憶えているのですが、それが昭和19年だったか20年の初めだったか忘れてしまいました。
 どなたか憶えておられるでしょうか

Posted by 中村芳満 at 2007年04月07日 17:18
中村さんへ
 昨日まで、家族で蘇州、上海を旅していたため返事が遅くなりました。確かに終戦の少し前に大連かどこかで撃墜(墜落?)したB-29の残骸を三中井で展示していたのを記憶しています。米兵の持ち物の中にチューインガムがあり「アメリカ兵はこのように堕落しているのだから、日本は必ず勝利する」といった趣旨の解説がつけられており、子供心にも「ずいぶん奇妙なこじつけ」だと不審に思ったものでした。
 だだ、残念ながらその日時までは正確に覚えておらず申し訳ありません。
 この件に関しては、昨年会合で同席した一年先輩の川嶋公平さんという方が三中井の関係者だと聞いたような気がしますので、あるいは記憶しているかも知れません。アドレスは次の通りです。
K-Kawashima@corps-a.co.jp
Posted by 本間隆雄 at 2007年04月08日 17:45
本間様
ありがとうございます。チューインガムのことも、日本が勝つというようなことも父が読んでくれたのを思い出しました。
展示の時期については、失礼のないようお伺いしてみます
Posted by 中村芳満 at 2007年04月08日 19:16
本間様
ありがとうございます。チューインガムのことも、日本が勝つというようなことも父が読んでくれたのを思い出しました。
展示の時期については、失礼のないようお伺いしてみます
Posted by 中村芳満 at 2007年04月08日 20:18

尺八してもらったけどありゃたまんねーな!!
ジュパジュパ凄い音させながら吸いつかれて、30秒で発射しちまった(笑)
しかもオレ、女にお任せして寝てただけなのに5マソも貰った件wwww
http://uv4gsmy.jp.takaoka.mobi/
Posted by 吸引力の変わらないただひとつの… at 2011年07月30日 10:12
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。